小野の信オン日記

カテゴリ:歴史( 5 )

紹介文にクイズ

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最近、紹介文にちょっとした戦国クイズ書いたりしてますので
興味のある方は探して解いてみてください。


ちなみに、上記のような問題文を掲載してましたが
ゲーム中でなんと2人の方も正解者が!!

蘆名四天王とかあえてレベル高いとこちょいすしてみたんですけど
知ってる人は知ってるものですね、本当に。


なお書いてある通り正解できたら祖品(何かは秘密)差し上げてますので
興味のある方は解答してみてください。


さて次はどんな問題を掲載してみるか・・・
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by ono2708 | 2012-05-29 21:39 | 歴史

戦国武将の子孫の今

戦国武将の子孫で現在も血が生き続けている人たちが居る。
今回はその人たちにスポットをあててみよう。


・佐竹敬久(秋田県知事)
佐竹義重の末裔

佐竹義重の長女?の血筋の模様。
まったくの余談であるが曲水一門には秋田県民が多かったりする。



・伊達みきお(お笑い芸人・サンドウィッチマン)
伊達政宗の末裔

宮城県出身。
デビュー当時に父親から「伊達家の末裔だから伊達姓は名乗るな」と言われたが
それに従わなく伊達姓を名乗った。
調べてみた結果、伊達政宗の直系の子孫ではない。
政宗の曽祖父である伊達稙宗の弟である留守景宗の子孫のようだ。
なので正確には伊達政宗と同じ先祖を持っている伊達氏一族が正しい。
偶然であるが政宗とみきおは同じ誕生日である模様。




・亀井亜紀子(政治家)
亀井茲矩の末裔


ここ最近の国民新党のニュースで話題になった人。
尼子家臣である亀井家の末裔である。
亀井茲矩の弟の末裔が亀井静香である。
つまり先祖が兄弟って関係ですね。




・吉川晃司(歌手)
毛利元就の次男・吉川元春の末裔

出身は広島県。
大河ドラマで織田信長を演じる事になった時、親戚から批判された模様。



・三遊亭圓楽(落語家)
吉川経家の末裔

5代目三遊亭圓楽。笑点の元司会者と言えば皆さん解るであろう。
鳥取城籠城戦で有名な吉川経家の三男を祖とする模様。
本名は吉河である。
明治時代になって吉川姓から吉河姓に変更されたようです。





・釈由美子(女優)
蜂須賀小六の末裔

蜂須賀小六の末裔が出家した際に、『釈』と改名したらしい。



・太田光代(爆笑問題の太田光の妻、芸能事務所社長)
松永久秀の末裔

社長としての手腕はやはり久秀の血筋か?



・和泉節子(和泉元彌の母・狂言プロデューサー)
竹中半兵衛の末裔

出身は岐阜県。
実家は造り酒屋を営む大地主。



・細川護熙(元内閣総理大臣)
細川忠興の末裔

衆議院議員辞職後、現在は陶芸家・茶人として活動している。
政治家としての手腕、そして現在の文化人としての生き方。
ここは忠興の父である藤孝の血を受けているのではないであろうか。




・柳生博(俳優・園芸家)
柳生一族の末裔

柳生宗巌の子孫であることは解ったが詳しくは不明。
子供のころは武人の家計らしく厳しく鍛えられたようだ。



・松平定知(アナウンサー)
徳川家の末裔

そのとき歴史が動いたの司会者として有名な人。
徳川家康の異父弟の松平定勝を祖とする伊予松山藩久松松平家の分家の子孫。
徳川家康の生母・於大の方が久松家と再婚しそこで生まれたのが
松平定勝というわけですね。


・織田信成(フィギアスケート選手)
織田信長の末裔

織田信長の七男の織田信高の末裔。
信長から数えて17代目の子孫とされている。
ただし途中で養子が入っているために、
血筋の上では信長の次男の織田信雄の子孫となる。


・真田裕貴(プロ野球選手)
真田幸村の末裔

真田幸村は二男六女を設けている。
おそらくこの六女のうちのどこかの血筋であると思われる。
なお幸村の妻は大谷吉継の娘でもあるため
大谷吉継の血も受け継がれてるということじゃないですか。


肝付兼太(声優)
大隅の大名・肝付氏の末裔

鹿児島県出身。
ドラえもんのスネ夫や銀河鉄道999の車掌などとして有名な声優さん。
幕末の志士である小松帯刀もこの肝付家出身である。




とりあえず今回はこれだけ
他にも多数有名な方が居たりもする。
その辺はまた機会があれば紹介してみましょう。
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by ono2708 | 2012-04-09 12:26 | 歴史

雑賀衆の家紋はなぜ変わったのか?

開発本陣にパッチの情報が来ていましたが
私的には技能よりも雑賀衆の家紋変更の点が驚きました。
あまり家紋事情には詳しくないが今回は家紋について書いてみたいと思います。


今までの雑賀衆の家紋
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新しい雑賀衆の家紋
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ぱっと見た感じ、カラスからハトっぽく見えて仕方がない。

さて、では実際にこの家紋は存在するのであろうか?
調べてみたところ新しい家紋とまったく同じ絵柄の家紋は発見できなかった。

なお近い絵柄ではこれがある。
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抱き稲に烏 の家紋
この家紋も八咫烏と同じく熊野神社で使われている家紋のようである。

見た目は違うけども似てる箇所は一応ある。
つまり
新家紋はコーエーが独自に作った
新家紋ではないのであろうか?


もちろんこの新家紋が存在してないわけではないと思う。
もしかしたらどこかにあるかもしれないが調べた限りでははっきりしない。


ではなぜ新家紋の作成に至ったのであろうか?
実は家紋にも商標登録されているものがあって
利用するときに申請をしないといけないものが存在する。
有名な家紋だと伊達政宗の伊達家の家紋である
『竹に雀紋』がそうだ。
この家紋は伊達家によって商標登録されているので
使用するときは事前に申請をしなければならないのである。

もしかしたら雑賀の家紋変更もこれが影響しているのではないであろうか?
八咫烏の家紋が商標登録されそうな気配があって
それに対応するためにコーエーが似た家紋を作成したとか??

なぜ今回雑賀の家紋が変更されたのかは
今のところはっきりとしていないが
今後の信長の野望シリーズでも、鈴木家の家紋が変更される可能性があるかもしれない。


ちなみにハトをモチーフにした家紋も存在してます。
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源平合戦で活躍した熊谷直実の熊谷氏が鳩の家紋は使っていますね。


間違ってる箇所もあるかもしれませんが今回は家紋のお話でした。
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by ono2708 | 2012-03-01 19:11 | 歴史

朝倉家滅亡の歴史(史実)

順番逆になりましたが、今回は朝倉家滅亡直前の歴史を振り返ってみましょう。

前回の記事
朝倉家滅亡のその後



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・武田信玄が死去、足利義昭が追放
三方ヶ原の戦いで織田・徳川軍を破った武田軍は信長を徐々に追い詰めていった。
しかし信玄が急死したことによって事態は大きく変わってしまった。
信長は敵対勢力の排除を開始。
京都から足利義昭の追放に成功し、
次の標的は浅井家・朝倉家となった。



・朝倉義景が2万の兵を率いて出陣
浅井家の小谷城に向けて、織田軍が出陣した。
朝倉家から浅井家に援軍を送るのであったがここで様々な問題が発生。
浅井家の阿閉貞征が織田家に寝返り、朝倉家中にも重臣が出兵を拒否するなど
織田方の内部工作や朝倉家の内部崩壊が出始めてきた。
このため義景自ら2万の兵を率いて一乗谷を出陣することになった。



・織田軍が浅井軍と朝倉軍の分断を開始
朝倉軍が救援に向かってきたと知った信長は
朝倉軍の近江の拠点であった大嶽城と丁野山城を攻略し浅井軍と朝倉軍を分断させる。
そして佐久間信盛らに朝倉軍が退却を始めるから
退却したらすぐ追撃するように命令した。



・朝倉軍が退却を開始、織田軍が追撃するが・・・
大嶽城の陥落を知った朝倉軍は形勢不利とみて退却を開始。
兵力も織田軍が3万に対して朝倉軍は2万であった。
また主力重臣も不在であったため朝倉軍の士気は低かったのである。
信長の予想通り朝倉軍は撤退を開始した。
しかしここで信長の誤算が発生したのであった。
信長が佐久間信盛らに命じてた朝倉軍追撃が
その佐久間信盛らが朝倉軍の退却に気付かないという失態が発生した。
さすが佐久間信盛である。見事に本番で失態をやってしまったのである。
信長も佐久間に命じずに秀吉あたり命じていればこんなことはなかったであろうに・・・
朝倉軍の追撃が行われていないとしった信長は自ら兵を率いて追撃を開始した。



刀根坂の戦い
近江と越前の国境付近である刀根坂で朝倉軍をとらえた織田軍は攻撃を開始。
織田軍は3000余りの朝倉軍を討ち取った。
山崎吉家・吉延は殿軍を任され奮戦するが戦死。
義景の元に逃れていた斎藤龍興もかつての重臣であった氏家ト全の子に切られ戦死。
河合吉統も奮戦むなしく討ち死にした。
印牧能信は捕虜となるが信長の面前で自害した。
こうして朝倉家の軍事の中核をなしていた武将達の多くがここで戦死したのであった。



・一乗谷炎上
刀根坂での大敗を受け、なんとか一乗谷に逃げ帰った義景であったが、
朝倉景健、魚住景固らが織田軍に寝返ったのであった。
義景は朝倉景鏡の助力を得るため一乗谷から脱出。
その後、一乗谷は織田軍に制圧され信長は火を放った。
こうして繁栄を誇った一乗谷は信長によって終わりを告げることとなった。



・朝倉義景自刃で朝倉氏滅亡
景鏡を頼った義景であったが、突如として景鏡の裏切りが発生。
景鏡は義景を包囲して攻撃を開始したのであった。
これまでと悟った義景は自刃して果てたのであった。
義景辞世の句
「かねて身の かかるべしとも 思はずは 今の命の 惜しくもあるらむ」
高橋景業は義景の介錯を努めた後、義景が切腹で使った刀で殉死。
鳥居景近は景鏡軍に切り込んだ後、義景の最期を見届け自刃した。
最後まで朝倉家に忠誠を尽くした2人の最後であった。
義景の母や子、側室の小少将らは景鏡によって捕らえられた。
景鏡は義景の首と捕虜を織田軍に引き渡した。
だが、小少将らは護送中に信長の命を受けた丹羽長秀によって殺害された。



こうして朝倉氏は滅亡したのであった。
しかし佐久間が追撃しなかったという点が笑えてしまう。
信長ももうちょっと人選考えろよって。


一乗谷や朝倉氏に興味のある方はぜひ1度一乗谷へ訪問を。
私も1年前に訪問してるんですよね。
最近ではソフトバンクのCMで一乗谷がロケ地に使われてますね。
CMの一つはこちら

しかしソフトバンクさんも一乗谷をロケ地に選ぶなんて素敵すぎる!
最近はそのCM効果で観光客が増えてるとかって話ですけどw
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by ono2708 | 2012-02-27 23:58 | 歴史

朝倉家滅亡のその後

今回の天下決戦では負けた方が総滅亡というシステムが取られている。
今回は朝倉家滅亡について書いてみることとする。
ゲーム内での話でなく史実での朝倉家滅亡の話です。

織田信長によって朝倉家が滅亡したという点は
歴史を知っている皆さんはご存知だと思いますが、
その後の朝倉家及び越前はどうなって行ったのかまとめてみました。
なお朝倉家の武将は朝倉家滅亡後改名した武将が多いのだが
今回は解りやすくするために知名度の高い方で記載している。


・織田信長が越前の支配を前波吉継に任せる。
信長は朝倉家滅亡後、越前の統治を前波吉継に任せることとした。
信長が越前を吉継に任せたのは旧朝倉家臣のほうが
越前の領国経営を任せられると考えていたようである。
ところが吉継は重税などを行ったため、領内では不満が爆発。
吉継に不満を持っていた富田長繁は越前を奪い取る計画を進める。


・富田長繫が挙兵し前波吉継を殺害。
領内の一向衆と結んだ長繫が挙兵。
一乗谷に攻め入り、吉継を討ち取りさらに吉継の母や妻・子供も殺害した。


・富田長繫が越前を支配し魚住景固を殺害。
吉継を討ち取り越前を支配した長繫は
敵対関係ではなかった魚住景固を暗殺した。
越前の支配に景固邪魔になるとでも考えていたのであろうか?
しかしこの暗殺が一向一揆衆の不信感を招くことになった。



・顕如が七里頼周を派遣し富田長繫を殺害。
越前の動乱を察知した顕如は織田家と旧朝倉家を追放して越前を奪うことを計画。
七里頼周を越前に派遣することにした。
頼周率いる一向一揆軍は長繫の居城を包囲。
長繫は配下の裏切りによって殺害される。
越前を一時的とはいえ支配した長繫のあっけない最後であった。



・顕如が下間頼照を派遣して景鏡、溝江を殺害し越前を支配。
七里に変わって派遣された頼照は今度は朝倉景鏡を殺害。
朝倉景健は一向一揆衆に降伏。
魚住・溝江らによって失脚していた堀江景忠は一向一揆軍に味方した。
一向衆に味方した景忠は仇敵であった溝江長逸を殺害した。
こうして越前は一向一揆軍によって制圧されることとなった。


・織田信長が越前に兵を派遣、堀江景忠が寝返る。
越前制圧のため信長は羽柴、滝川、丹羽、明智らを派遣して一向一揆軍へ攻撃を開始した。
一向一揆軍に味方していた景忠は織田軍に内通して寝返った。



・織田軍が一向一揆軍を殲滅。
織田軍が各地の一向一揆軍を撃破して府中の占領に成功する。
織田軍は一向一揆軍を斬殺して府中は足の踏み場も無いほど
死体で埋め尽くされたという。


・下間頼照と朝倉景健が殺害される。
一向一揆軍の総大将であった頼照は加賀への脱出を図ったが失敗して殺害された。
織田軍は豊原寺や加賀の大聖寺などまで制圧した。
一向一揆軍に味方していた朝倉景健も許されず殺害された。


・織田信長が越前の支配を柴田勝家に任せる。
越前及び加賀南部を制圧した織田軍は支配を柴田勝家らに任せることにした。
勝家の他に佐々成政・前田利家・不破光治なども派遣されている。
こうして越前に赴任した勝家は以後北陸方面軍の指揮をとることになった。


・堀江景忠が謀反を企むも失敗。
織田家に内通することで越前に領土を得ることがてきた景忠であったが
その恩賞が少なかったため不満をおこす。
そしてまた一向一揆軍に寝返って謀反を起こそうと計画するのだが
その計画は発覚して景忠は殺害されたのであった。
彼の固有技『寝返りの唄』はおそらくここがモデルになっていると思われる。


諸説あるかもしれませんが大まかにまとめるとこんな感じになると思います。

結局、朝倉家の旧臣のほとんどは戦死している。
景健なんかは最後はまったくいいとこなしである。
しかしこうしてみると様々な武将の思惑が絡み合ってるのですね。
あまりしられてない歴史の一部のお話でした。
次回何かに続くかも・・・?
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by ono2708 | 2012-02-20 17:57 | 歴史

真紅鯖朝倉家に所属する一人の武将の日記 『信長の野望 Online』に関わる著作権、その他の知的財産権は株式会社コーエーに帰属します。


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